そぞろごと

katakanize2009-09-25


ここのところ、毎週末出ずっぱりな感じ。

先週末はふたりで飛鳥山・蔵前・田原町へ。

飛鳥山公園内の児童公園のようなスペースは、なんだかキッチュなオブジェクトの目白押しだった。楼閣のような謎の巨大遊具を中心に、形而上的な形状のビビットカラーの彫刻(?)、地中に埋もれたカバ・タコ・シロクマ・ブタ・ヒツジといったよくわからない組み合わせの動物群、人魚姫、なんか漁船のようなもの……中でもとりわけ目を惹いたのが、写真のすべり台。

キメラ的というか、象と合成されている意義がカケラも感じられない、そのやっつけ気味なデザインもさることながら、傍らのコドモと比較してみると分かるのだけれど、このすべり台、むやみにタッパがでかい。およそ幼児向けに設計されているとは思えない。スロープの先も、見切れてるので分かりにくいが、マットとか砂場とかクッション的なものが用意されてるわけでもなく、ほぼ直で地面。なにか、保護者の覚悟の程が試されるような、峻厳たる偉容を湛えた遊具であった。

あと、プチ鉄としては見逃せない、荒川線の静態保存車両。小金井公園のやつもいつだったか観たけど、こちらは路線図とか吊り革とか取っ払われて、電車というよりは待合室というような雰囲気。窓外の緑も相まって、普通に居心地いい感じ。自分ちの近所にも欲しいっす、こういうの。



蔵前には、『ペリカン』のパン目当てで足を運んだのだけれど、予約無しでは購入不可能と知ってショック。食い下がったところでどうにもならなそうなので、退散し、とぼとぼと散策。路地裏でシャナリと歩く靴下猫を見つけてパチリ。

以前、スパイラルマーケットで展示販売をしていた『Syuro』の実店舗が近くにあるとのことで、立ち寄ってみる。店構え・内装・並べられている品々、どれもさらっとした印象のお店。穏やかに涼しい感じの。銀座で立ち寄った『FRED & PERRY』とはまた別の、居心地の良い空間。彼女は物入れ用のブリキ罐を、自分は原稿用紙をモチーフにしたポストカードを一枚買った。

田原町まで足を伸ばし、2年程前にかげわたり周辺のメンツで立ち寄ったことのある『コマキ楽器』を軽くひやかす。エスニックパーカッションのフロアというのがことに愉しい。バラフォンとかスティールパンとかスリットドラムとか試奏してみたり。不思議といつまでも飽きないのよなー。気ままに堪能し、近場の蕎麦屋でメシ喰って、かげわたりの練習のために東池袋へ向かう。『あうるすぽっと』やらいうタウンホール?的な建物の中にある、喫茶コーナーで茶をシバく。場所柄、人も少なく相当に落ち着いた雰囲気。ココなにげに穴場かも知れんす。チーズケーキ旨し。かつリーズナブル。


かげわたり練習。レパートリーを一通り練習、しかるのち持ち込みのMTRでテスト的に録音してみる。まずまずの感触。緊張感があるとなんか演奏の風合いが違いますな。ここからここから。

追想

katakanize2009-09-15

友人の、松瀬くん夫妻の飼い猫に関して、不幸なできごとの事の顛末を聞く。

なんとも言えずやるせない気持ちになるが、なんていうか、単純に憐れむような慰めるような言葉をかけるのは気が引けて、ただただ、ふたりは彼女(猫)にとっていい家族だったと思う、と、そのような意味合いのことを述べた。悲しむべきできごとではあったけれど、僕はとにかく、ふたりにはなるたけ笑顔で過ごしてもらいたいのだ。


週末は彼女と、なんとなくふらっと高円寺へ。家の近所を環七が通っており、路線バスを使えば10分強とわりあい至近な街だということに、つい最近気がついた。

駅南側の商店街をブラブラと歩く。以前良く通っていた服屋は既に跡形も無かった。いつのまにかヴィレッジバンガードが出来ていて驚く。数人の若者らが店頭のモニターで「ファミスタ」に興じていた。アーケードを抜け、青梅街道へと続くルック商店街をそのまま歩き続ける。ルックの中程の花屋の軒先で、部屋置きにいい観葉植物はないかなと思って物色していたら、店主に話しかけられる。「あんまりかさばらない感じの観葉植物ってありますか?」と尋ねると、「ああいうのは初夏から夏のものだから、今はなかなか置いてないね」とのこと。

青梅街道に突き当たる直前の100円ショップの店先に、ごくごくちんまりとしたサイズの観葉植物の鉢植えが数種類並んでいたので、まあとりあえずはコレでもいいかと思い、カポックの鉢植えを買う。駅へ戻る道すがら、路地裏で落ち着いた感じのカフェをみつけ、ロゴマークロゴタイプがなんだか素敵だったので、休憩かたがたお茶をする。

はじめて高円寺に来たのはもう随分前のことだけど、その頃はカフェのカの字も見当たらないというか、モダンだとかスタイリッシュとか言われちゃうようなたぐいの事物とは無縁の、良くも悪くもケレン味の強い街だったと思う。南口のバス通り沿いに、ボサノバやらソフトロックばかり流すような(当時にしてみれば)場違いな感じのカフェができて、なんだかなあと思っていたら、その後そこかしこに増殖していった。相変わらず「バンドとインドと古着の街」みたいな側面も無くはないけど、今の高円寺は、あの頃の高円寺とは違う別の何かなんだと思う。なんとなく。


13日、かげわたり練習。ギター⇔ベース間でひっかかっていたという問題が、ひとまず解決。若干ジャム多めの練習。なんか妙なテンションだったな〜。音源を近日作り始めよう、ということになる。ブラッシュアップ。モアモア。

あけぼのの銀座、日の中の銀座、たそかれの銀座

katakanize2009-09-13

6日、銀座。かげわたり鈴木君・Nさん夫妻の結婚式&披露宴。

撮影担当の自分は、出席者全員のビデオコメントを収めるために終始ちょこまかと動き回りまくりで、来客の皆様におかれましてはさぞかしジャマくさかったことだろうと存じますが、なんていうかイイ画が撮れたと思う。言わずもがな、単純に視覚的な意味合いじゃなくて。てか、あれだけ沢山の人のカンバセをいっぺんに撮るってことも滅多にあるまい。貴重な経験でした。


余興として、かげわたり現メンバー+yukoさん+T君で、パン作りが趣味だというNさんへのプレゼントソング『パンの歌』を演奏。ボーカル:家常、ギター:鈴木、ピアニカ:宮嶋、ジャンベ:谷川、グロッケンシュピール:ミヒャエル、タンバリン・カスタネット:yuko、ハーモニカ:T君。もっと緊張するかなーと思ってたけど、だいぶリラックスして楽しんでやれたのが何より。演奏後、新婦側の親戚の方に「面白かったよ」と声をかけて貰えたのが嬉しかった。

なんであれ、新郎新婦ふたりが終始笑顔だったのが、実に良いことじゃあないかと思いました。ベタなアレですが、末永くお幸せに。


銀座と言えば、先日は彼女共々ひさびさに銀座あたりをブラブラうろついてきました。


で、松屋銀座のデザインギャラリー1953に、前からちょっと気になってた『俳グラや 佐藤晃一 掛軸展』を観に行く。俳句+グラフィックの融合と、モダンインテリアとしての掛軸の再解釈の提示、てな内容の展示。シュールな文言と抽象的なグラフィックが重なると、不思議とそれらの指し示すイメージが浮かんでくるというか、ナンセンスが有意味化するひとつのありようを見せつけられる感じで、興味深かった。なんとなく、放哉の句の世界に近いものを感じたりもした。


松屋を出て、東銀座方面へ。彼女の行きたがっていた『FRED & PERRY』に。名前が紛らわしいが、こっちのブランドとは一切関係ありません。輸入雑貨・文房具を中心に取り扱うセレクトショップ。このたぐいのお店って、ここ数年都内の路地裏の雑居ビルあたりに一気に増えてきた感があるけど、経営者のスタンスが場の雰囲気に如実に現れる業種だよなあ、と思う。以前立ち寄ったとあるお店は、商品のラインナップやらレイアウトやら接客態度から全体的にスノッブな匂いが漂いまくりで、どうも勘違い入ってる感じがして好きになれなかった。その意味で言えば、ここはすごく居心地が良かった。なんか、つとめて丁寧に商売してるって感じがした。


軽く昼飯採ったのち、中央通り方面に戻って、gggへ。『銀座界隈隈ガヤガヤ青春ショー 〜言い出しっぺ横尾忠則灘本唯人宇野亜喜良和田誠横尾忠則4人展』(長い!)を観る。横尾さんってイラストレーター乃至画家の印象が強かったんだけど、グラフィックも面白かった。ラジカルさは通底してるんだけど、だいぶ抑制されているというか、思った以上に理詰めで制作されている感じ。一番気になったのは和田さんの作品・広告群。すごく洒脱というか、都市的。なんだけど、いい具合に野暮ったくもありテキトーでもあるような。安直に巧いとか綺麗とは言わせない感じ。どことなくサヴィニャックに近いものを感じた。


散策がてら、日比谷〜大手町〜竹橋と経由して神保町へ。古本屋渉猟するも特に収穫なし。ブックダイバーの場所が思い出せず、無駄に行ったり来たりする。やっと見つけた店頭では筒井康隆の『家族八景』が叩き売りされていたので、何だか懐かしくなり、彼女に押し売り気味に薦めてみたりする。店内の飲食コーナーで茶でもシバくか、という自分の提案は敢えなく却下されたので、珈琲屋2軒ほどハシゴして、小川町で解散。なんだかやけに歩き回った一日だった。

常住の人、無常の世

katakanize2009-09-01

8月29日。知り合いの画家・詩人・音楽家のナベ君こと渡邉知樹君の個展が、恵比寿のギャラリーで催されてるとのことで、ここ数年DM貰いつつも無沙汰な感じが続いていたので、散策がてら行ってみることにした。

自分の憶えているナベ君と言えば、O次郎のプリントされた可愛らしいスウェット(上)に両足突っ込み、サスペンダーで吊ってズボンとして着用するという、孤高の着こなしを体現していたことが印象深い人物だったが、果たしてギャラリーで再会したナベ君は、記憶の中のナベ君像と寸分違わぬ姿でそこにいたのだった。タイムカプセルみたいな男やねアンタ。具体的なイメージが湧いてこない人は、こちらで氏の近影をご覧ください。7年前、僕が初めて会ったナベ君の風体もおおよそこんな具合だった。

個展の内容は、絵画と立体作品(紙粘土)の展示。自分の知ってるナベ君と、知らないナベ君がそこに表れてるって気がした。柔らかさと歪みとその他もろもろ。単純に、今でもこうやって創作し続けて、そこに人が集まって来るってことが、なんか幸福なことだなーと思った。なんていうか、また会いに来ようと思った。


8月30日、かげわたり練習。「とある催し」のための練習としては最終日。yukoさん、元かげわたりのT君らも参加してのセッション。なかなか愉しげに可愛らしくまとまったんじゃあないかと思う。場の不確定要素みたいなものも込みで、本番が楽しみ。レパートリー練習は、最近保留中だった曲のアレンジ再考。自分のパートについて、いろいろともどかしく思う。とにかく引き出しをもっともっと増やしたい。


三十路に入って今更ながら嗜好が変わったのか、最近、甘味料の入った飲み物を体が受け付けない感じで、無糖の炭酸水にハマってたりする。ペリエサンペレグリノとか美味しいんだけど、気軽に買えるような値段でもないんで、もっとバカ安い感じのないかいなと思ってたら、ローソン100にありました、1000ml/105円。

↑このアングルは作為的に過ぎるとしても、ちょっと驚愕の安売りっぷりですわよ、コレ。こんな買い物が出来ちゃうご時世に生きてることを喜ぶべきか、もっとマクロで見て憂うべきなのか。ううーん。味はそこそこって感じでした。

晩夏の挽歌

katakanize2009-08-26

21日、かげわたり宮嶋君の発案で、池袋でビアガーデン呑み画策。かげわたり家常・宮嶋・自分、松瀬君オサムン、元かげわたりT君のメンツ。
が、諸般の事情でコストパフォーマンス低めのアレになりそう、ってことになり、結局、南池袋・明治通り沿いの行きつけの飲み屋でインドア呑み。

どういう会話の流れからだったか、某アニメの登場以降、コミュニケーションにおける諦観や放棄を、露悪的に肯定・正当化するような筋立ての創作が蔓延し過ぎた。いま、そういったムーブメントを通過し、終焉を観てきた世代が作るべきなのは、理不尽さややりきれなさを抱え見つめつつも、他者や社会と真正面からやり合っていくような物語なんじゃないか、てな感じの話になり、侃々諤々、てか喧々囂々議論する。なんか喋り過ぎてこめかみが痛くなるほど。明け方解散し、なんとなく無駄に長く歩いてみたいような気分になって、自宅まで1時間強歩いて帰る。


22日、日比谷野音bonobosのライブ観覧。


開演まで時間に余裕があったので、銀座のggg細谷巌さんの『LAST SHOW』展を観る。細谷さんのディレクションした広告ポスターはどれもシンプルで力強いものだったけど、特に興味深かったのは地下フロアで展示されていた、新作のグラフィックデザインの作品群だった。各媒体での細谷さんの発言を元に、細谷さん自身が新たにグラフィックを描き下ろし、秋山晶さんが構成を担当したもの。細谷さんのミニマルな図案と相俟って、キャプション的に添えられた「細谷語録」が、いっそう深く心に浸透する。ひとつひとつの言葉、ひとつひとつのデザインが、丁寧に紡がれている印象を受けた。直言的な文言も、厭味にならず、柔らかな輪郭を持って伝わってくる。自身の表現に対する確固たる矜持があればこそ、過不足ない言葉で語ることができるのだ、と思わされた。もっともらしい理屈にまみれた美辞麗句なんてものは牽強付会に過ぎないのではないか。言葉はお飾りのためにあるものじゃない。デザインにおいてはなおのこと。


で、酒類買い込んで野音へ移動。bonobosの世間的な認知度の程っていうのは知らんかったのですが、数年前野音で某邦楽バンドのライブ観たときは、後のほうの座席はプレスやレーベル関係と思しき人達がパラパラといるくらいで、観客もミドルテンションで割とまったりと観てるようなイメージだったので、bonobosも大体そんなもんかなーと思って行ってみたら、なにげに超満員の人出でびっくり。あと、bonobosファンは女の子が多い印象があったのだけど、男二人連れとかで観に来てる人らもそれなりにいて、そのあたりはフィッシュマンズ周辺から流れてきてる人もいるのかな、と邪推してみたり。

夏の日の暮れかかりの時間帯の野音ってのは、もうそのシチュエーションだけでたまらない感じだけど、こういう場にふさわしいのはやっぱり享楽的な音楽。小利口そうなパフォーマンスより、アホ踊りで乗っかってく感じが良いのです。ライブ中程で演奏していた、曲名はわからないが、ダブ調の曲が気持ちよかった。クドいくらいに引きずるディレイ、頭の芯が揺れるようなリバーブ。はためく吹き流しに反射する光。これを聴き、見つめる片手にアルコール。夕暮れどきの空気。ヒグラシの声。格別。


23日、ニューオータニ美術館で『謎のデザイナー 小林かいちの世界』を観る。

大正〜昭和初期にかけて、絵葉書・絵封筒・便箋などのデザインを手掛けていたという人物。制作当時の時勢を反映してか、その作風はどことなく退廃的。描かれる女性像の大半が顔のパーツを省略されているのも、デザイン・印刷加工上の都合もあるのだろうけど、なにかデザイナーの視点を代弁しているようにも思えた。突き放しているようでもあるし、潔癖さの表れのようにも思えるし。

活動していた時期・分野が近いことから、竹久夢二と関連づけて紹介されることが多いようだけれど、個人的にはミュシャの作品に近い印象を受けた。夢二よりも、より図案化されているというか、省略の手つきがデザイン的だと思う。夢二より、女性への目線を対象化しているようにも思える。平たく言うと「エロくない」。あと、色づかいがとにかく美しい。強いコントラストを見せる配色でも、エグ味がなく、柔らかくまとまって見える。絵葉書サイズの大きさに収まっているのが、なんだか贅沢なことのように思えてくるほど。

夜、かげわたり練習。なんか匙加減のコツが解ってきた気がする。課題はまだ、山ほど。もっともっと。まだまだ。

つちいろ、あかがね、こんねず

katakanize2009-08-18

このところ、日記の更新のたんびにウンコちゃんなスパム(迷惑)コメントが書き込まれることが恒常化してきて、その都度削除っつうのも微妙に面倒なので、コメント欄を承認式にしました。画像で表示されている文字列を入力してくれ、とかなんとかいうやつ。お手間を掛けてスマンのですが、悪しからずご了承下さい。つってもそんなにコンスタントに更新してもないし、コメント付くことも稀なんだけどなー。

こないだ、近所のカフェで飲んだスパークリングティーやらいうシロモノがやけに旨かったので、自分チでも作れないかと思って、まずは試験的に、原液となる紅茶(アールグレイ)を5倍濃縮くらいに煎じて、空きペットボトルに詰めて冷蔵庫で保管していたのだけれど、翌日取り出してみたら、赤色半透明だったはずのアールグレイが、赤錆色のなんだかよくわからない液体に変貌していた。

これを摂取してみる勇気は、今のところ休眠中である。ていうかどういう現象なんだ、こりゃ。


所用で千川近辺に赴いたので、路地の夕景などいくつか収めてみた。
    
なんだかやけに幽玄じゃなかろか。「豊島区≒埼玉の飛び地」説が真実味を増した感がある。僕は非常に好きですけど、千川のこの感じ。[[]]

猫と谷中とはっちゃけ親父

katakanize2009-08-17

13日、帰省。


実家の白猫は、再会するたんびに「誰アンタ」みたいな及び腰な態度で、毎回思い出してくれるまでに若干の時間を要するのだけれど、メシの欲しい時は委細構わず擦り寄ってきたりもする。そんな打算的な彼が、なんだかんだ言っても可愛くてたまらんのです。愛でに愛で倒してやったわ。

近況の報告、その他の雑談。時期を逸して渡しそびれてしまっていた、父の日/母の日のプレゼントを、今さらながら渡す。父には文庫本状のメモ帳(しおりつき)とブックカバー、母には桜のお香と磁器製の香立て、二人宛に二枚一組で飾れるフォトフレームを。ガンガンに使い古してくれると良いなあ、と思う。


15日、上野に『ル・コルビュジエ国立西洋美術館』を観にゆく。

コルビュジエ関係の書籍やら、以前に観た別の展覧会で既知の事柄も多く、目新しさっていうのは特になかったけど、展示内容がそのまま展示会場とリンクしてるっていうのが、なんかメタな感覚で面白かった。建物自体に移動する楽しみが感じられるような構造をしていると感じた。19世紀ホール→スロープ→常設展示室→新館っていうルートの、その動線のリズム自体に、妙にワクワクさせられるっていうか。

同時開催されていた『かたちは、うつる』展も観覧。美術館所蔵の版画作品の企画展。ゴヤの『ロス・カプリーチョス』関連の作品もいくつかあった。油彩画はとみに顕著だけど、この人の作品の「黒」には、えも言われぬ深遠な「おっかなさ」みたいなものがある、と思う。単なる陰翳とは言い難い何か。夜中の海岸で真っ暗な海の向こうを見つめてるような。『陽気の妄』とかまさにそんな感じ。うまく表現できないんだけど、なんかじわじわ・ひたひたと怖ぇの。

谷中に流れて、ぽつぽつと散策。横路地に入り、『nakamura』という靴屋に立ち寄る。オーダーメイドの革靴・サンダル・鞄なんかを製造・販売しているお店。ここのサボがすこぶる可愛らしい。装飾性・儀礼性を排して考えると、靴の形状の理想型というのはサボに集約されるのではないか、と最近は考えていたりします。ビルケンのボストンとかも良いけど、どうせなら自分の足にジャストフィットな一足を作ってもみたい。

てな事のたまってみても、悲しい哉先立つものも大して持ち合わせていないので、ひやかし気味に退散し、千駄木方面へブラブラと。『不思議(はてな)』という古道具屋で下写真の書籍に非常に心惹かれ、一も二も無く購入。

昼飯も摂らんと歩き通しだったので、よみせ通りの洋食屋で遅めのランチ、もしくは早めのディナー。東東京の香り漂うイイ感じに鄙びた雰囲気のお店。店の佇まいに反して、おっちゃんの所作は注視してしまうくらい手際良く軽妙で、メシもなかなかどうして旨い。てか充分に旨い。こういうのがホントの穴場っていうのかしらねえ、とか思ったり。場所のヒントとしては、よみせ通りのアーチをくぐって、『やなか珈琲店』〜谷中ぎんざの中間あたり、左手側。店構えにはちょっと二の足を踏むかもだけど。


16日、かげわたりの練習。現在のメインレパートリーと、ある催しのための練習も兼ねて。

おぼろげではあるけど、カラダでリズムの「軸」をつかむときの、意識すべきパーツやポイントみたいなものが、解ってきたような気がした。丹田で躍るってな感じ。あとやっぱ、ディテールをひとつひとつ大事にするってことが何より。下手糞が小手先の「出来てっぽさ」に飛びついてちゃだめってことか。


家常さんから、ドラミングの参考にってことで教えてもらったYO LA TENGOのライブ映像。それはそれとして、カプランさんが全体的になんだか妙なテンション。2:00前後が特に。面白いんだけどかっけえ。けどやっぱ面白い。なんなんでしょうこの感じ。PIXIESとかもそうだけど、ビジュアルとは別の部分での美しさを感じさせるバンドっていうのは、往時は言わずもがな、この時代においてはなおのこと貴重だと思う。