ザッパク

katakanize2009-04-14

疲弊と消耗の向こう側に、かすかに見えてる薄明かりみたいなものをよすがにして、日々の営みの動機づけを繰り返してるんだろうなーと自覚した雨の帰り道。

故あって自宅の風呂が一時的に使用不可の状態のため、近所の銭湯に足を運ぶ。なんか随分久しぶりの銭湯。8年前、演劇始めたばかりの頃は、なんかしょっちゅう銭湯通ってた。下駄箱やら番台やら暖簾やら脱衣所やら、銭湯特有の「あの感じ」は、その頃の記憶と如実にリンクしている。重大な事も些末な事も。綺麗な思い出も忘れたいような事も。なんか、妙に細かいディテールまで思い起こせてしまったりする。面映いことも色々と。湯船に浸かって取り留めもないことをアレコレと物思う。月日は確実に経過していったけれど、自分はあの頃よりどれくらい遠くまで来れたのかねえ。

部屋に帰ってアサリのパスタ作って喰らう。遅めの晩飯。喰らいながら、不意に活版印刷がやりたいなーとか考える。最近、手を動かすってこと、手に限らずカラダを動かすってことが基本的に疎かになりがちだと思う。大げさにいうと、なんか自分の生活自体、身体性がどんどん希薄になっていってる感じがある。利便性に溺れていてはイカンのですよ。「必要不便」みたいなものがこの世には確かにある、って気がするんだな。たまには懐疑的になってみるべき。そこはそんなに手間を省く必要あったのかい?っていう。効率化と横着の見極めその判断基準を、明確に。

近頃茶の飲み過ぎのせいか、変に夜中に目が冴えちゃうんで、なんか無駄にいろんなこと考えちまう。