主観的ハッピーマンデー

百葉箱?

平日に休みが取れたので、漠然とどこか広めの公園にでも行きたいなと思い、小金井公園に散策ついでに江戸東京たてもの園を見に行こうと計画していたのだけれど、前日に施設案内を調べてみたらみごとに休館日とかぶっていて、ならば予定を変更して美術鑑賞でもと思い、青山の岡本太郎記念館に行くことに決め、当日、地下鉄を乗り継いで現地まで辿り着いてみれば、門前に「臨時休館とさせていただきます」の張り紙。不意に目的を見失ったような心持ちになるが、でもまあ、原宿まで歩けばなにがしかあるだろうからと思い直し、塩クレープが美味しいカフェが表参道の路地裏にあると聞いていたので、住所を突き止めて向かってみれば、当該の住所に相当すると思われる場所は、解体工事が行われた後なのか、そこだけぽっかりと更地の状態。とぼとぼと明治通りへ抜ける小道を歩くうちに、小雨もパラパラと。ここまで踏んだり蹴ったりなのも考えようによっちゃまた一興、みたいな感じに開き直り、駒場東大前に移動して、アゴラ劇場で五反田団の『生きてるものはいないのか』を観る。

五反田団の、というか前田さん演出の芝居を観るのは、4月のENBUゼミの卒業公演も含めると3回目。ENBUのは俳優の演技力をフォローする意図もあったのか、くだらなさを前面に押し出したざっくりした感じの作品だったけど、本公演の今回は当たり前っちゃあ当たり前だけど、さすがにもう少しちゃんと「劇」の体を成している作り。一応ホラー的な内容なんだけど、ところどころで交わされるやりとりのバカバカしさやぬるさは通底していて、物語がシリアスじみた方向に傾いてくると、それを自ら茶化すようにアホらしい掛け合いやったりどうでもいい台詞を殊更大仰に発してみたり。そうした緩い雰囲気に包まれながらも、水面下ではなにかじめじめした暗いものが常に渦巻いていて、時折場面が反転するようにしてその暗いものが表出される瞬間があり、ユーモアとも本気ともつかないような空気感の振幅に戸惑いを覚えつつも、確実に劇世界に引き込まれていく。

劇中での言葉の扱われ方で「いいなあ」と思ったのが、本筋には直接関係のない、あってもなくてもいいようなやりとりでは無駄なくらい饒舌なのに、物語の輪郭について語る部分では投げ遣りなほどに寡言であること。説明することから逃げているというよりも、はなから必要性を認めてもいないようで、飄然としてて良かった。ラストの死屍累々って感じの画も滑稽かつ壮観だった。すごく観念的な感想だけど、なにか、正しい演劇を観たという気がした。

あと、観劇前に立ち寄った『ルーシー』のチキンカレーがすこぶるおいしかった。なんだかんだで、いい休日だった。